1462年
吉竹村の釜見谷清右衛門が、天然イグサを小松で発見。現在の小松市大野町に移植し、栽培したのが始まり。
1640年
三代前田利常が小松上入城。
地場産業振興策でイ草の栽培奨励。
小松畳表を特産物として幕府に献上。
江戸後期~明治
北前船が、北海道へ小松の畳表を運ぶなど 小松の主要な産業のひとつとなる。
大正時代
小松・能美藺草栽培統計によると栽培農家が2500~3000戸 栽培面積が150~200ha
1935年(昭和10年)
栽培面積 193.5ha(全国6976.5ha)
1955年(昭和30年)
およそ300ヘクタールの作地面積 と 1395戸の栽培農家
小松産地の最盛期
1963年(昭和38年)
戦後最大級の豪雪「38豪雪(さんぱちごうせつ)」の影響により、畳表の生産量が前年の1/2になる。そのため、繊維業へ転職する者が多くなり、作付面積の減少に 拍車がかかる(当時 159ヘクタール)
1978年(昭和53年)
イグサ乾燥機導入により 天日干しから天気を気にせず刈取りが出来る様になる。また 刈取り機械も徐々に開発され 刈取りの重労働から解放される。
2001年(平成13年)
イグサ農家が20戸を切る
2011年(平成23年)
イグサ農家が1戸となる。